気取った道化に価値は無い


 成歩堂は、じっと動き出すを待った。

 映画の中ではこうだ。
突然の音に建物は暫しパニックに陥る。何事かと、火災警報機が鳴り響く中閉ざされていた扉は次々と開き、主人公は囚われの身であった恋人を見つけ出し、熱い抱擁と共に救い出す。

 けれど、今ここでは煩いサイレンが鳴っている以外、何も起こりはしなかった。
「あれ…?」
 拍子抜けもいいところで、先程王泥喜と別れた(置いてきた)部屋からもなんらリアクションがない。
「えと…?あれ…?」
 これは無人だったってこと? あれ、じゃあさっきの鎖と鍵って何? 幾つかの疑問が頭を過ぎるものの、結局誰もいないって事だよなと成歩堂は帽子を引き下ろすと溜息を付いた。
(今度逢ったったら、勾玉も間違う事があるんだよと彼女に教えてあげよう)。そんな事を考えながら、フラフラと廊下に躍り出る。
 響也の居所も捜索し直だ。なら、王泥喜君を助けに行った方がいいかな。
思い直して来た方向を振り返った成歩堂は、背中から派手に扉が開く音を聞き、ギョッと頭を戻す。
 人相のよくない男達が廊下の先からバラバラと姿をみせたところだった。「どうした」「なんだ」と野太い男達の罵声と足音が続く。

「あ、あれ〜?」

 間の抜けた声が唇から漏れた。額から嫌な汗が流れ落ちる。
 彼等の隙を突くどころか、隙を突かれたのは成歩堂の方。咄嗟に隠れる事も出来ず、廊下のど真ん中に突っ立つ成歩堂を見つけると、そいつらは物凄い勢いで近寄って来た。
 「貴様何者だ!!!」と一喝され、これピンチなんじゃないかなぁ〜?などと焦る気持ちと裏腹に身体が動かない。助けに来たにも係わらず、誰か助けてくれ〜!と心で叫んだ時、聞き覚えのある声がした。
 必死に顔を向ければ、廊下の先。そこに留まる男達の集団に響也の姿。拘束されてはいないようだったが、自由の身になったようにも見えなかった。驚きを隠そうともしない表情なのに、こちらへ走り寄る気配はない。
 響也が自分の姿を見て動かないと成歩堂は思わなかった。動けないのだ、きっと。
 人影がなかったのも、警察等に感づかれ、脚がつかないように場所を移るところだったと考えれば辻間時も合う。  間に合ったのだと、思った瞬間、成歩堂は掴みかかってきた男の腕をしゃがみ込んでわかした。
 そのまま、ハイハイをするように男達から逃れると、両手で持って勢いよく立ち上がる。上がりそうな息のまま彼の名を呼んだ。

「響也くん!!」

 途端に脚が縺れてよろける。意識は一生懸命脚を上げて、響也に近づこうとしているのに、肝心の脚が意志に付き従わない。…というよりも、すでに体中に力が入らない。
 顔を上げようとしてまたよろける。かろうじてひっかかっていた草履が、滑った拍子にどこかへ飛んだ。
「成歩堂、さん…!」
 息が上がっているせいか表情はよく見えないが、今度ははっきりと自分の名を呼んだのが聞こえた。切羽詰まったような声色に力を振り絞る。
「逃げるんだ、早く!!」叫んだ後は、一番手前にいた男に殴りかかった。殴りかかったけれども、あっさりと避けられ、男の上半身に縋り付くいた挙げ句にずるずると重力に従った。それでも、此処で足止めをしなければ響也を助ける事など出来ないと、男の太股に必死でしがみついた。
 周囲に男達が、自分を引き剥がしに係ることで成歩堂はいっそう力を強くする。背中に取り付いた男が何か叫びながら、両脇に腕を入れ離そうとする。
 負けるもんか、泣くもんか。
   響也を連れ去られた時の、彼を失うと感じた時の憔悴感に比べたら怖いものなど何もない。

「成歩堂…!!!!!」

 …へ?

 しかし、あまりに聞き慣れた声が降って来て、思わず顔を上げた。ひらひらで赤い親友が形相を変えている。突き出した指先が、真っ直ぐに己に向けられ、反射的に『異議あり』と叫びそうになった。
 茫然自失でわなわなと震える指を眺めていれば、再び怒鳴り声が降ってきた。

「貴様という奴は…っ! 落ち着いて周囲を見ろ!!!!」
「周囲って…御剣だよね…あれ?王泥喜くん??」
 背中から成歩堂を羽交い締めにしている王泥喜が、はあと息を吐いた。
「やっと気がついたんですね、皆私服警官の方々ですよ。俺達が来る前に、彼等が踏み込んで逮捕してたそうです。」
「…そうだったの?」
 (嫌だな、先に言ってよ〜。)へらと笑って頭をかいた成歩堂に御剣の罵声が降り注いだ。



 そのまま王泥喜共々警察に連行され、早々に開放された彼と違い、成歩堂は取調室に監禁された。何度入っても嫌なところだなぁと、出されたお茶を啜りながら待っていれば、鬼の形相をした親友が部屋を訪れ、組んだ腕越しに不遜な様子で自分を見下げる。
「君は私達が何の準備もせずに、牙琉検事を囮にしたと思っていたのかね。」
 引きつったまま上がった唇の端が震えていた。顔面神経痛?と大変だねと告げて殴られる。ヤバイ、本気で怒ってる。

 S気があるのは自覚しているけど、殴られて喜ぶ趣味はない。

 成歩堂は慌てて余裕の態度を引っ込めた。真面目な親友を怒らせたって良いことなど何もない。上目遣いで伺うように言葉を絞り出す。
「…発信器…?」
「そうだ。全く貴様は、幾つになっても見境がない!
前にも考え無しに橋に渡ろうとして川に落ちた挙げ句に、私に迷惑を掛けたのを忘れたのかね!!」
 言葉にひとつひとつがごもっともなので、取り敢えず黙って聞いた。君を助けた事だってあったろう…とも思ったが、今となっては迷惑を掛けた方が多い。失職してからは余計にだ。
「だいたい王泥喜弁護士まで巻き込んで、先人として、年長者としての自覚は君にはないのかね!!」
 だって、彼強いし…自分ひとりではとても殴りこみなんて出来ないし…。言えない言い訳は心の中で告げる。
 散々苦言を呈し、それを大人しく聞いていたせいだろう。御剣はやっと大きな溜息をついて、科白を止めた。

「もう、牙琉検事の健康診断も終わったころだ。貴様を解放してやる。」

 にやりと御剣が笑うが、成歩堂は本気で安堵の溜息をついていた。現役時代もそうだったが、追いつめるのは好きでも追いつめられるのは苦手だ。
「助かるよ。」
 素直に礼を言い帽子を被り直していれば、御剣は両手を肩まで上げ、首を左右に振った。人を馬鹿にする時の彼の癖、成歩堂は眉を顰める。
「普段飄々として掴み所がないなどと牙琉検事が愚痴っていたが、なかなかどうして情熱的な有様だったな。君が(ちいちゃん)と呼んでいた女性に固執していた時を思い出した。」
 ぎょぎょっと目を剥く。響也が自分達の関係を打ち明けているほど御剣に懐いて居るのかと思えば、お門違いの嫉妬も湧いた。おまけに思い出すのも憚られる大学時代の話をされ、油汗が背を流れ落ちる。
「僕、僕はいつだって情熱を傾けているつもりなんだけどな…。」
「そうか。ならば貴様の事だ、方向性に問題があるのだろう、十分に反省したまえ。」
 弱気な言い訳など一蹴され、御剣は部屋を出て行った。流石に親友。自分の落ち込む壺も心得ているようで、成歩堂は完全に凹んだ気分で部屋を出た。廊下へ出れば、スプリングの効いた扉は、出て行けといわんばかりに大きな音と勢いで閉じた。
 扉にすら無下に扱われた気がして、さっさと立ち去ろうと顔を上げた成歩堂の目に王泥喜と響也が言葉を交わしているのが目に入った。


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